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「強打」高橋大樹


龍谷大平安硬式野球部応援サイト ◆高橋大樹
1994年5月11日生まれ、大阪府藤井寺市出身。
道明寺中学校-龍谷大平安高校
高校通算43本塁打の平安屈指のスラッガー。

小学校3年の頃から野球をはじめ、地元の軟式野球チーム「大井リバーサイド」に所属する。
中学時代は、リトルシニア「河南シニア」に所属し、3年の時にはAA世界野球選手権大会に捕手として選抜された。
中学卒業後は、龍谷大平安に進学し1年秋から正捕手としてベンチ入り、平安打線の主軸を任されるようになった。

当初から打撃センスには非凡なものがあり、豪快なスイングから放たれる長打力は目を見張るものがあった。
また、50メートル5秒9と足も速い。
龍谷大平安硬式野球部応援サイト平安高校のOBで、強肩強打の捕手として埼玉西武ライオンズに入団した炭谷銀仁朗捕手になぞらえ、「銀仁朗2世」と呼ばれるようなった。
それについて原田監督は、「守りでは銀仁朗だが、遠くに飛ばす打力ははるかに上回る」と高橋を評する。
また次のようにも語っている。
「高橋のようなバッターは見たことがありません。上体だけで打った時は良くありませんが、目とバットの距離が保てた時は、遠くに飛ばす技術を持っている。左方向へのライナーのホームランもありますが、ほとんどがセンターから右方向へのホームラン。しかも、バックスクリーンの場合、スライスしながら、柵を超えていくんです。彼は右の押し手が強いんでしょう。今まで見たことのないホームランを打つんです。僕が見た選手では一番のバッターですね。あと、身体が強く、脚も速い。そこは銀仁朗と違うところですね」

龍谷大平安硬式野球部応援サイト2年の夏、OB炭谷銀仁朗が持つ京都大会本塁打記録の4本には及ばなかったものの、3本塁打を放ち甲子園出場に大きく貢献。
特筆すべきは、この夏最大のライバルと眼された福知山成美との準決勝。高橋のソロホームランで先制すると、4回にもソロホームランを放ちゲームを有利に進める。大事な一戦で2本塁打放ち、チームの勝利に大きく貢献した。
同年、甲子園大会の2回戦新湊戦では平安高校の夏の甲子園としては実に21年ぶりとなるホームランをレフト中段に放つ。打った瞬間それと分かる特大の本塁打は、平安ファンだけでなく全国の高校野球ファンを魅了した。この時から高橋の名が全国で注目されはじめる。
(その時のホームランの映像⇒高橋の特大本塁打(6:00あたり)
捕手高橋として期待が高まる一方で、監督からリード面を指摘される事もあり、大一番の試合ではライトで出場することもあった。
2年の夏の甲子園には、4番ライトで出場している。
(※2年の夏、2011年の東山戦でも1本塁打を放つが、この試合雨天ノーゲームとなった。もちろん記録には残らない本塁打ではあるが、これを含めると4本塁打を放ったことになる。)

龍谷大平安硬式野球部応援サイト2012年1月、違和感のあった右肩と右肘のクリーニング手術を受けた。
翌年のドラフトの目玉とされていただけに、プロのスカウトから「力があるのは分かっている。」としながらも、「どれだけ長打が戻るのか・・・」といった、心配の声も聞こえた。
本人も「右腕がスイングについてこない・・・」と不安の色を隠せずにいた。
3年となった高橋は、3月頃から徐々に送球を再開するが思うような送球が出来ず、捕手高橋から打者高橋へと方向転換。本格的に外野手としての練習を開始する。
5月には遠投も50メートル程しか投げられず、肘をかばうことからスイングも乱れた。
高橋本来の調子が戻らないまま、最後の夏の大会を迎える。
豪快な1発こそ出なかったものの、4番ライトで出場し打率.545、7打点、6盗塁と非凡な打撃と自慢の俊足で2年連続の甲子園出場を決めた。
甲子園では、1回戦旭川工戦では2点ビハインドの9回2死1塁からライト前へ繋ぐバッティングで、その後の同点となるホーム踏む。この試合、平安は延長11回サヨナラ勝ちを収めた。
チームは2回戦で敗退となったが、高橋の打率は.400、長打こそ出なかったが打球の速さは大会屈指で、各スカウトからも「潜在能力の高い選手」「スイングが速く、将来性がある」と評価は高かった。

同年2012年、第25回AAA世界野球選手権大会の日本選抜に選出され、ここでも高橋は打率.455、出塁率.520、長打率.636といずれもチームトップの記録を残した。

龍谷大平安硬式野球部応援サイト2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けた。
本人は「ビックリという言葉しか出てこない。自分では2位か3位くらいだと思っていたのでほんとにビックリ。1位になれる選手じゃないし・・」とコメントは控えめだったが、「最多安打、首位打者を獲りたい。ずっとヒットを打っていたい」と目標を大きく語った。
広島東洋カープと言えば、平安の偉大なOB鉄人・衣笠祥雄氏がいた球団。
高橋は「お会いしたことはないし『鉄人』だという話を聞いているだけだけど、自分がケガばかりしていたのでケガをしない体をつくりたい」と鉄人魂・平安魂を継承して活躍を誓った。

写真提供:HEIAN Baseball Photo Life
※写真の無断複写・転載は固くお断りします。

ドラフト翌日の京都新聞より(2012/10/26 朝刊)

高橋1位の決意
「体鍛え、最多安打狙う」コイの帽子姿、笑顔」

龍谷大平安硬式野球部応援サイト広島から1位指名を受けた瞬間、驚きのあまり龍谷大平安高の高橋の表情が固まった。原田監督から「おい1位やぞ」と声を掛けられ、やっと顔をほころばせた。「1位は予想していなかった。びっくりしたという言葉しか出てこない」と緊張した面持ちで語った。
大阪府藤井寺市出身。小3で野球を始めた。中学3年時は日本代表で4番の捕手として世界大会に出場。右方向にも打てる長打力と元陸上選手の両親譲りの50m5秒9の俊足を武器に2年春から4番に座った。2年夏の京都大会で3本塁打と放つと、甲子園1回戦の新湊(富山)戦で左翼席中段に豪快な一発を放ち、全国の注目を集めた。
今冬に右肩と肘を手術し、最後の夏の大会は調子が上がらなかった。それでも京都大会決勝で3安打2打点、甲子園1回戦の旭川工戦でも4安打と勝負強さを発揮。高校通算本塁打は43本を重ねた。
秋に18U(18歳以下)日本代表に選ばれ、木製バットに対応するために打撃フォームを変えた。「このままの打撃では通用しないと分かっていた。打点も挙げて自信になった」と成長を遂げた。
同じ広島で高校の大先輩の衣笠祥雄氏について聞かれると「鉄人のイメージ。僕もずっとプロでやれる選手になりたい」と目を輝かせた。けがで苦しんだ高校生活を振り返りながら「もっと体を鍛えて、最多安打を打ちたい」と決意を込めた。

写真提供:HEIAN Baseball Photo Life
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関連サイト

2011年:主砲高橋選手の豪快なバッティング集