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「鉄人」衣笠祥雄


龍谷大平安硬式野球部応援サイト ◆衣笠祥雄(元広島東洋カープ)
1947年1月18日生 京都市東山区出身
平安高時代は高3の春夏2度甲子園に出場、 共に8強入りをする。
1965年平安から広島東洋カープに入団し1987年の現役引退に至るまで、23年間は常に 日本プロ野球界の第一線で活躍を続け、数々の輝かしい足跡を残す。
その間2215試合連続出場という不滅の世界記録も達成。
プロ生活23年間で歴代2位の161死球。
怪我をしていてもどんなに不調でも「常にフルスイング」で有名だった。
その雄姿から名付けられた「鉄人」の愛称は衣笠祥雄だけに送られる栄光の称号である。
1987年には王貞治に続きプロ野球2人目の国民栄誉賞を受賞。連続出場の記録もさることながらほぼ毎年コンスタントに20本塁打以上を打ち続け、歴代7位となる通算504本塁打を放つホームランアーティストでもあった。
因みにホームランの副産物である三振数も歴代6位の1587個。
1987年、それまでニューヨークヤンキースのルーゲーリッグが保持した連続試合出場世界記録である2130試合を更新し2215試合連続出場を果たす。
記録はその後に再更新されるもカルリプケンJrの2632試合に次ぐ世界2位、国内1位。
その功績を讃え背番号「3」は広島カープの永久欠番。
記録達成時のファンへの挨拶で残した「私に野球を与えてくれた神様に感謝します 」は日本球界の名言にもなった。
赤ヘルブームの立役者となり、日本一も経験。
山本浩二との鉄人&ミスター赤ヘル500本コンビで広島カープの黄金時代を築き上げた。
まさにミスター平安、平安を象徴する野球部OBである。

◇著書
「お父さんから君たちへ~明日を信じて」(講談社)
「人生フルスイング」(佼成出版社)
「野球の夢 一途に」(NHK出版)

◇主な通算記録
通算打率 270
通算本塁打504本※歴代7位タイ
オールスターゲーム出場13回
ベストナイン賞3回
ゴールデングラブ賞3回
盗塁王1回(S51)
正力賞1回(S59)
最優秀MVP1回(S59)
最多打点王1回(102打点、S59)
打撃10傑3回(S46、S47、S59)
サイクル安打1回 (S51.7.7)
20年連続2桁本塁打(S43~S62)※歴代4位タイ
13年連続20本塁打(S49~S61)※歴代3位タイ
5試合連続本塁打(S46.06.06~06.10)
2試合連続初回先頭打者本塁打(S52.10.04~10.05)
1イニング2死球(S51.08.31)※日本記録
通算三振数1587※歴代6位
県民栄誉賞 S62.06.15
国民栄誉賞 S62.06.22
京都市民栄誉賞 S62.11.02
日本顕彰会特別賞 S62.11.10
野球殿堂入り H08.07.21

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写真:東京都文京区の東京ドーム21番ゲート横にある「野球体育博物館」には殿堂入りした氏のユニフォームとモニュメントが展示されている。

■ 顕彰文には紛れもなく「平安、4番」が刻まれている。
平安高の強肩捕手4番打者で春夏の甲子園大会に活躍。昭和40年広島カープへ入団。
強打のチームリーダーとして球団初を含む5リーグ優勝と3度の日本シリーズ優勝に貢献した。62年米大リーグ記録を破り2215試合連続出場記録を樹立。
“鉄人”と称さる実働23年。通算2677試合、2543安打、504本塁打、打率.270、盗塁王、最優秀選手賞、打点王にも輝く。