【全国制覇】第33回全国高等学校野球選手権大会:エピローグ|龍谷大平安硬式野球部応援サイト ~ALL 平安~ 目指せ全国制覇!!

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エピローグ
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全国制覇【特別記事】:第33回全国高等学校野球選手権大会

第33回 全国高等学校野球選手権大会 総括

前評判でも高い評価を得ていた平安は、見事に2度目の全国制覇を成し遂げた。
このチームは、エース清水を筆頭に、好リードの上市、北井・谷の鉄壁二塁間、得点機を迎えるごとに打線は火を吐き、攻守ともにバランスを持っていたと記されている。

しかし、これ程のチームを持ってしても全国制覇への道は平坦なものではなかった。
松商学園に苦しみ、都島工の延長を制し、高松一の1点差に詰め寄られる九回二死満塁を退けての栄冠であった。

全国制覇には、実力もさることながら接戦をものにする勝負根性も必要である。
そう思うと、このチームの頭上に栄冠が輝いたのも、当然の結果だと言える。


真紅の大優勝旗 13年ぶり京都へ凱旋
13年ぶりに真紅の優勝旗を迎えた京都の町は興奮の渦に巻き込まれた。
東寺付近から平安高校の近くまでは車が通れない程に人が詰めかけ、市電も立往生。
選手を乗せた車が来ると、握手を求める子どもや花束を投げ込む女性で取り囲まれた。

龍谷大平安硬式野球部応援サイト市役所前で開かれた歓迎式も多くの人が押し寄せ、用意されていたマイクも人波にのみこまれてしまう始末。終いには線が切れてしまい、清水主将の声も全く聞こえなかったという。

「金閣寺の炎上とか水害とか不景気なことばかりの中にあって、諸君は全国制覇という景気のよい良報を京都にもたらしてくれた。郷土出身の湯川博士がノーベル賞を貰われた時依頼のめでたいことで、こんな嬉しいことはない。」と、蜷川知事がお祝いの言葉を贈った。

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市役所前で市民の祝福を受ける平安ナイン(昭和26年)

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1951年(昭和26年)8月21日
優勝から2日後の夜8時半、優勝の余韻に浸るファンが提灯を持って平安高校の周りを行列で賑やかにした。ローソク付き提灯代30円がお祝い参加費というわけで、その数、子供も交え100人の大行列。
もちろん、名物応援団長を先頭として。

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