【全国制覇】第24回全国中等学校野球大会:エピローグ|龍谷大平安硬式野球部応援サイト ~ALL 平安~ 目指せ全国制覇!!
平安ナイン京都へ凱旋 駆けつけたファンは3万余人
逆転劇で幕を閉じた全国中等学校野球大会の翌日、平安ナインは午後3時38分大阪発の列車にて4時14分京都駅に到着した。
京都駅フォームでは、整列した市音楽隊の奏楽と湧き起こる万歳三唱に包まれ、大優勝旗を高々と擁した殊勲雁瀬主将を先頭にナイン一同は降り立った。
平安ナインはフォームへ迎える群衆の間をかきわけ、特別出口から外へ出るとそこには京都市民3万余人が歓迎に訪れていた。
駅前広場は歓迎式を見ようと訪れた人々で埋め尽くされ、広場から溢れ出た人は駅の楼上をはじめ付近の丸物百貨店(旧近鉄百貨店、現ヨドバシカメラ場所)、京都電燈(現関西電力)、七条郵便局(現京都中央郵便局)の各高層ビルに流れ込み、窓一面は人の顔で埋め尽くされた。
七条署は、この空前の人出に署員を動員し雑踏整理に当たったが、警戒線も感激のどよめきに押される始末であった。
こうした中始まった式典は、京津大会会長・京津大会審判委員長・京都府知事代理・京都市長などからそれぞれ祝辞が述べられ、また平安中から校長が代表で慶賀の意を表した。
京都駅前広場に駆けつけたファン
~平安が伝統として受け継ぐもの~
1938年8月21日 全国中等学校野球大会の決勝戦は投手戦の様相を呈し、均衡が破られたのは9回表 平安中主将雁瀬のエラーからであった。
このエラーについて、哲学者の天野貞祐京大教授は「学生に与ふる書」(岩波新書)の中で次のように触れている。
私は人生の機微を感ぜずにはおられなかった。岐阜対平安のこの試合はとうてい0対0の均衡は破られそうにも見えなかった。しかるに九回表にいたって岐阜商は1点を入れた。しかもその直接の原因は平安の名三塁手雁瀬君のミスにあった。雁瀬君ほどの名手にしてこのミスをする以上、平安はもう敗れたと考えない人はおそらくなかったであろう。ところがその裏平安は2点を入れて優勝してしまった。九回表の1点リードは有利であっても、とにかく岐阜商の投手の心理に影響せずにはいなかった。その結果はたちまち2個の四球となってあらわれ、そこへ追撃者のいきおいがヒットとなって平安の勝利となったのである。
思うにもし雁瀬君のミスがなかったとしたらば、とうてい均衡は破られず、この試合はたしかに延長戦となる形勢にあったのみならず、延長線となれば結果は逆でありそうに察せられた。そうすると雁瀬君のミスが平安を勝たしたという逆説が成立するわけである。しかし、もとより単なるミスは勝利の原因とはならない。それにはミスを転じて勝利とする力が蓄積されていなけらばならない。そこに平安の力があったというべきであろう。
このエラーは両校にとって確かにターニングポイントとなるプレーであったであろう。
引用にもあるように、スコアボードに記された1点は岐阜商大島投手の心理を揺さぶるものがあったに違いない。おそらくそれは”優勝”と言う二文字が脳裏にあったと推測する。
逆に平安ナインの脳裏からは”優勝”と言う2文字が遠ざかるものとなった。
この両校同じ”優勝”という2文字の捉え方の違いに、勝敗の分かれ目があったのではないだろうか。
つまり、大島投手および岐阜商ナインは試合よりも目の前の”優勝”に意識が向いていたのではなかろうか。
その点、平安の”優勝”に対する執念は素晴らしい。
相手の四球からチャンスを掴んだとはいえ、これも勝利に対する執念がもたらしたものである。
野球はエラーをした方が負けると言われる。特にこの試合のように拮抗した投手戦となればなおさらだ。高揚と落胆の心理が、両選手に雲泥の差を与えるからにほかならない。
しかし、平安はこの逆境を見事に打ち破った。
失策から与えた1点ビハインドに消沈することなく、果敢に攻めたて勝利を手にしたのである。
この”精神”こそ、平安が伝統として受け継ぐものであるに違いない。