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幻の甲子園

 

幻の甲子園までの戦績とチーム

~当時のチーム~
戦中、全国大会が中止に追い込まれると、全国の中等野球部では廃部・休部する学校が増えていった。そんな中において、中等野球界で不滅の地位を築いていた平安野球部は、社会情勢に屈することなく、健全な中等球児を育成し続けた。
チームは、波利新監督のもと平安野球の原点に立ち戻った指導がされ、投手・冨樫淳の快腕に加え、伝統の試合巧者ぶりを発揮して他校を圧倒していた。
主戦冨樫、救援に左翼小俣、捕手原田、遊撃手中村、中堅橋本といった一流選手が名を連ね、打線は3番中村・4番小俣・5番冨樫が牽引するバランスの良いチームであった。
いずれにしても、主戦冨樫が全国屈指の豪腕投手であったことは言うまでもない。

~全国屈指の豪腕投手、冨樫~
冨樫は、全国屈指の速球派投手として知られ、低めをつく速球、アウドロが好調な時は中等球界ではそれを打つのは不可能と噂されていたほどである。
”幻の甲子園大会”でも、平安は優勝候補の一角とされており、平安中・冨樫、滝川中・小林、海草中・辻、市岡中・増井の4投手の戦いになるであろうという予想であった。

~”幻の甲子園までの戦績”~
'42/7/26 10-1 京都三商(西京極)
'42/7/28 2-1 四条商業(西京極)
'42/7/30 14-2 京都一中(西京極)
'42/7/31 1-0 京都商業(西京極)延長12回
'42/8/ 2 7-0 膳所中(西京極)京滋代表選

4月以降の戦績では、14戦13勝と申し分ない成績。
ただ一度の敗戦も、当時日本一と謳われた真田重蔵を擁する海草中(●1-3)との試合だけであった。
※海草中、真田は年齢制限により本大会不出場。

幻の甲子園:大会のスコアと詳細


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~1回戦、強豪市岡中をノーヒット・ノーラン~
優勝候補の平安は、一回戦で早くも冨樫が本領発揮。
大阪代表の市岡中を相手にノーヒット・ノーランを達成。市岡中といえば、先ほども触れたように優勝候補の一角とされていたチームであり、実力も十分であった。
◆1回戦 1942/8/25
市岡中 000 000 000= 0 H0 E5
平安中 003 000 00X= 3 H5 E1
平安中:冨樫-原田
【試合評】
『地元の市岡中とお隣の平安中が出るというので大した人気、試合開始前には内外野のスタンドは超満員で互いに声援を送る賑やかさ。試合は平安中冨樫投手と市岡中増井投手の対峙で開始された。冨樫投手は曲球を用いずに、主として速球のみをもって打者の低目の内外角を過ぎる球を投じて市岡打者を翻弄し去った。市岡は七個の四球を得ているが、最後まで一本の安打もなく、無安打、無得点に封じられたのは遺憾千万であるが、この冨樫の好調さではまたやむを得まい。冨樫の球は速球ありその上球が重い、従って打っても余り飛ばない。(中略)結局三回の三点が勝利点となった。これをもって一回戦試合を終了したが総体的には好投手に乏しく、ただ平安中の冨樫投手のみ頭抜けて光っていた。』

~無安打記録14イニング、試合後富樫の肩に異変~
◆2回戦 1942/8/27
平安中 100 000 001= 2 H4 E1
一宮中 000 000 000= 0 H1 E1
平安中:冨樫-原田

前試合で達成した無安打記録は、この試合の5回まで続いた。6回二死後、一宮の萩本が一二塁間を破るヒットを放ち、ここで記録はストップ。結局、一宮のヒットはこの一本のみで、平安は三塁を踏ませず準決勝へ進出。2試合を通じて冨樫が与えたヒットは僅かに1本。
しかし、好調冨樫の肩に異変が起こった。一宮最後の打者から三振を奪った次の瞬間、冨樫の肩に激痛が走る。その晩、肩に湿布を貼って治療することになった。

~肩を痛めて挑んだ準決勝、悪夢の雨天延期~
1942年8月28日、平安中対広島商の試合は夕方、激しい雨に見まわれ中止が決定した。
肩を痛めていた冨樫にとって、この雨は幸運に思われるが、平安にとっては決して喜ばしいことではなかった。というのは、日程の関係で決勝戦が8月29日と決まっており、この準決勝が8月29日午前8時の開始が決定され、決勝戦が同日午後2時という強行日程が組まれたからだ。
◆準決勝 1942/8/29
広島商 301 000 000=4 H6 E3
平安中 000 040 40X=8 H6 E6
平安中:冨樫-原田

昨夜からの湿布治療に加え、試合前には痛め止めを打って臨んだ準決勝。
冨樫の肩の故障は致命的で、全く腕が伸びず、速球は威力を失い、かろうじてカーブ等で広島商の強力打線をかわしていた。主戦冨樫の不安な投球は守備陣にも影響を与え、初回連続エラーで早くも3点、三回にもエラー絡みで1点を献上。鉄壁の守備陣もこの試合だけで6個のエラーを記録。試合は終盤、相手土屋投手の疲労を足がかりに攻め立て逆転勝ちを収めるが、平安中が持つ本来の戦いとは程遠い内容となった。

~同日強行された決勝戦、満身創痍の主戦冨樫~
◆決勝 1942/8/29
平安中 100 001 040 01 =7 H10 E3
徳島商 010 000 500 02X=8 H4 E3
(延長11回)
平安中:冨樫、小俣、冨樫-原田

準決勝を午前に戦った平安中は、そのまま午後の決勝戦に挑んだ。
主戦、冨樫は2回戦後に痛めた肩が致命的で、球速もなく、肩をかばって肘から先で押し出すような投球であった。この投球に徳島商は戸惑い、打ちあぐねる。
そこで、7回から徳島商が取った作戦が”待球作戦”。制球の定まらない冨樫に対し、徹底してボールを投げさせた。この作戦の前に平安はたちまち苦しみ、波利監督は左翼小俣を救援に送る。だがこの時すでに得点差は4点、平安中の劣勢は決定的であった。
しかしながら、平安も打線が8回に奮起、3安打3四球で6-6と同点に追いつく。
波利監督は同点となった時点で、左翼の冨樫を再びマウンドへ、試合はそのまま延長線へと突入する。
満身創痍の冨樫が力尽きたのは、延長11回。二死満塁から押し出し四球を与え同点に。
そして続く打者は、バットを一度も振ることなくカウント2-3。
冨樫が投じた球は高目に外れて押し出しサヨナラ。

こうして、幻の甲子園は幕を閉じた。


以下、決勝戦評を記した記者の文章を引用
冨樫右肩の異常 徳商選んで制勝
『徳島と平安は全国中等学校野球大会の決勝戦としては、実に稀有の熱戦であった。
普通決勝戦というと参加両校の選手は気も腕も硬直し、日頃の手腕の半分も出せずに平凡な試合に随し、凡戦に終わることが多かったが今回は種々の理由もあったが両選手が最後まで不撓不屈の精神を遺憾なく発揮し延長十一回の末、八対七の接戦裡に大団円る告げたことは絶賛に価する。
この試合、午前中に広島と対戦しているだけに平安の歩は著しく悪く、殊に主柱と頼む冨樫の右肩に異常が潜むために徳島には優勝の機会が多分に恵まれていた。
結局、多数のファンが紀憂した如くに平安の冨樫の球速は極度に減退すると同時に連投による疲労の色は蔽い難く、第九回まではさして四球の数は多くなかったが延長戦に移るや俄然制球力を失い、第十回は二死満塁となり打者のカウント2-3まで迫り、この時は美時に三振に討取っているが第十一回には矢張り同様の場面で四球押出しの1点を許し、更に四球押出しの悲劇を演じ惜敗を喫したのは悲惨であった。(中略)
平安は加藤を巧みに攻めて七点も奪いながら冨樫の疲労が因となり、半ば掌中に収めた覇権を逸し去ったことは洵に同情の念を禁じ得ない。
併し敗れたりとは言へ、一時は大勢の決した観のある第七回の四点の負担を直ちに取戻し、延長線に移ってからも第十一回先手を打って一点を先取した旺盛な攻撃精神には、敬意を表する。若し冨樫の故障がないか、或は一日二試合という悪条件から免れていたならば勿論謳歌は平安に奏せられていたであろう。』

徳島商の安打は4ながらも、冨樫と小俣が与えた四死球は20を数えた。


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